雪うさぎ

雪うさぎ(12)/南澤純三


 雪うさぎの少女の話もこの辺へくると、ペンの動きがわるくなる。ぼく自身にはもうその先がわかっているから気が重いのだ。

 昭和二十九年十月十日、日曜日、くもり。
 午後、そのひとの家を訪ねるべく出かけた。住所は知っていたし、もといた劇団に各自の住所地図が出されていたので、大体の見当はついていた。
 私鉄の駅から、映画館の角を折れ、一本道をまっすぐ行って、理髪店のところを曲ったあたりだ。
 銭湯があり、下駄屋があり、小児科の医院があるその隣だった。
 一般住宅と小さな商店がまじり合って並んでいる住宅街だった。そこにそのひとの家があった。
 ぼくは、小さくてもこぎれいな、貧しくてもきちんと片づけられている家を思い浮かべていた。
 しかしその家は、うす汚れていて空家みたいだった。荒れていた。一階が店と台所、二階が住居風に建てられた古い二階家で、広い入り口の戸も、ガラスが破られたのか、全部大雑把な板張り。二階の窓もすだれがかけっぱなしで、ガラスが割れており、中から何か張ってあった。それもかなり以前からのもののようだった。
 なによりも表札がなかった。お父さんが亡くなったので外したのだろうが、女一人で不用心だからというのかもしれないが、それにしても姓だけの表札でも出すのが普通なのに、と思った。
 そばに遊んでいた子供に聞いたが知らないと言う。二三軒先の家からのぞいた女の人に聞くと、やはりそのひとの家に間違いなかった。
 入口の板張りの戸に手をかけてみた。鍵はかかっていなかった。半分位あけて「ごめん下さい」と二三度声をかけた。返事はなかった。
 階段をのぞくと、洗濯ものが干してあるのがチラと見えた。鍵もかかってないし、近くまで一寸出かけただけなのか、それともいつもこうやって出て行くのか、待ってみようかどうしようかと、しばらく考えた。
 留守中の家に入りこんでいるのもおかしいし、外で立っているのも不自然だし、と迷ったあげく隣の家に声をかけて聞いてみた。「さあ、知りませんよ」と無愛想な返事が返っただけだった。
 向いの家の二階からもうさんくさげな目で見られたりして、心は残ったがどうしようもなく、ぼくは引返してしまった。
 その日のくもり空と同じような、暗く沈んだ心になっていた。そのひとがあんな侘しい家に住んでいたとは思っても見なかった。
 あの家でお父さんを亡くして、どんな気持で一人で暮らしていたのだろうと思うと、心が痛んだ。しかしそのひとに対する思いには何の変りもなかった。
 月曜に手紙を出した。
 日曜に訪ねたが留守だったこと、「秋のささやき」が放送されること、次の日曜に又訪ねてもいいだろうか―――と書いた。
 水曜の夜、帰宅するとその人からの手紙が来ていた。何が書かれているかも知らず、ぼくは胸をときめかして封を切った。
 まるで予想もしなかった返事だった。みじかいことばだったが、心にぐさりと突刺さる文字だった。
 ―――お手紙拝見しました。ずい分嫌なことをなさる方だと思いました。これからは、お越し下さいませんよう(銀行の方へも)お願い致します。ひどいと思われるかもしれませんが、あしからず―――とあった。
 嫌なことをした覚えはなかった。荒れた家を見られたことが、そのひとにとって耐えられないことだったのか。それならなぜ―――もとの住所にいるので気が向いたら遊びにお越し下さい―――というハガキをわざわざくれたのだろうか。
 事情はわからなかった。しかしそのひとが今まで言おうと思って言えずにいたことを一気に言ったのかもしれなかった。
 ひと冬のみじかい思い出。二年半余の空白。そしてまた何かがはじまると思った途端に、突然の終止符だった。
 終わったのだと思った。指ひとつふれることなく終わってしまった。この雪うさぎの少女との恋も、結局はぼくの一方的な思いでしかなかったのだ。
 二、三か月前に書いた詩の一節が自然に浮かんできた。
  ひとりぼっちさ  いつだって
  わびしくっても  泣くものか
  ひとり口笛  吹いて行こう ―――と。

(平成2年2月)

 


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