雪うさぎ

雪うさぎ(11)/南澤純三


 二年九か月ぶりのそのひとからの便りだった。たった一枚のハガキに、そのひとの文字に、ぼくは少しうろたえ気味のうれしさの中に引きこまれていった。
 昭和二十九年九月二十八日だった。

 その日は雨で、裁判所で二時間ばかり残業して、すっかり日の暮れた雨の中を、何となく晴れない心で帰ったところだった。それだけに大きなうれしさだった。
 逢いたい、いやすぐにそうしない方がいい、しかし逢いたい−−−うれしい迷いだった。うれしさの中で、あれこれ思いをめぐらしながらその夜は眠った。
 その年の三月、ぼくは中之島の地方裁判所から大阪城に近い法丹坂町の簡易裁判所へ転勤となり、そのひとのいた淀屋橋の東京銀行大阪支店とは、はなれてしまっていた。
 翌日出勤してからそのひとに電話をしようと思っていた。しかし何となくかけにくくそのまま昼になり、昼休み市電で淀屋橋へともかくも出かけてしまった。
 淀屋橋へ着いてから電話しよう、そう思っていたがやはりかけにくく、ままよと直接逢いに行くことにしてしまった。
 電話口ではきっとどきまぎもたもたしてしまうであろう自分がわかりすぎてた。同じことなら逢ってしまえばいいじゃないか、と自分で自分に納得させて御堂筋を渡った。
 なつかしい東京銀行の石造りの建物だった。裏の通用口へまわった。
 受付の人にそのひとの名前を言って呼び出してもらうぼくの声は、多分少しふるえていたと思う。丁度受付に電話がかかってきて少し待たされた。
 そのとき外からそのひとが帰ってきたのだ。
 食事にでも行ってきたのだろうか、ぼくを見て雪うさぎの少女は微笑んでいた。昔と少しも変っていないその白い微笑みがうれしかった。
 一度銀行へ入って出てきたそのひとと、御堂筋へ肩を並べた。秋の日ざしが明るかった。昨日別れて今日逢ったみたいに、自然に話が出来たのが我ながらふしぎだった。
 そのひとはお父さんが亡くなった後、たった一人で暮らしていること、今月は仕事が忙しく十時頃まで残業しており、最近は芝居も見に行っていないこと、昔の演劇仲間ともすっかり遠ざかっていること等話した。
 そして「わたしは素人でよくわからないんですけど、(詩の)方向を変えてみたら…」と、ぼくの詩についてチラと感想をもらした。
 返事がなくても送りつづけていた、ぼくの手づくりの詩集を、ともかくも読んでいてくれたのはうれしかった。
 ひとつ覚えのテーマにしがみついて、自分でも行きづまりかけていたし、もっと幅広くいろいろ書きたいという気持ちのあったときだけに、そのひとの言葉は全く素直にうけとることが出来た。
 御堂筋を淀屋橋から梅田新道まで歩き引返した。淀屋橋で別れた。仕事が待っているらしいそのひとは「今日はわざわざ来て下さってありがとうございました」と言って、急ぎ足で交叉点を渡って行った。「日曜日にでも家の方へお訪ねしてもいいでしょうか」と聞きたかったのだが、口に出せずそのまま別れてしまった。
 その夜、そのひとからのハガキをまた読返した。
 −−今迄のところに一人で住んでおりますので、お気が向きましたら遊びにお越し下さい−−
 行きたいと思った。行って気まずい思いをしたらいやだなとも思った。次の日曜では早すぎるだろうか、その次の日曜にしようか。あれこれ思い迷いながらも、気持は訪ねて行く方向に傾いていた。
 先のことは何一つわからなかったが、少なくともその日ぼくはしあわせだった。
 そして次の日曜が来た。雨だった。
 午前中はそれでも出かけてみようかという気持ちだったのだが、雨空を見てるとだんだんと気持ちがしぼんで来て、結局やめてしまった。もう一週間考えることにした。
 木曜日、朝日放送から連絡が入った。送ってあった「秋のささやき」という詩が採用され、ABCホームソングとして十月末から二週間放送されるというのだ。
 うれしい知らせだった。
 八月に投稿したのだが、十月に入ったことでもあり、秋のうたなのでやっぱり駄目だったのかと思いはじめていた頃でもあり、それに何よりも、そのひとを訪ねて行ったとき、これで少しは胸をはって話が出来る、その思いの方が大きかった。
 次の日曜にそのひとを訪ねよう、ぼくはそう決めていた。

(平成2年1月)

 


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