雪うさぎ

雪うさぎ(5)/南澤純三


 東京銀行というと、東京を連想するのが当然である。しかしぼくにとっては、東京銀行という文字も、その言葉のひびきも、すべてが大阪を思い出させ、東京銀行大阪支店のあった御堂筋の銀杏並木と、そこにつとめていた雪うさぎの少女と、二十三歳のぼく自身が浮かんでくるのである。

 昭和二十七年一月二日、劇団の初顔合わせの日、帰りにそのひとからノートを借りた。いろいろその時々の感想を書き記したノートだった。
 考えたり悩んだりしているそのひとのかわいい女文字から、そのひとの心が直(じか)につたわってくるようだった。
 ぼくがそのひとのことを思っているように、そのひともぼくのことを思っていてくれるのだろうか、確信はもてなかったけれど、こんなノートまで見せてくれたそのひとの気持に対するうれしさが、帰り道も、帰宅し床についてからもずっとつづいていた。
 一月四日は裁判所の御用始めだった。仕事はなく挨拶だけで終ったので、昼前そのひとへ電話をした。銀行は普通営業なので昼休みに逢うことにした。
 淀屋橋で待合わせ、梅田方面へ肩を並べて歩きながら、話しながら、ぼくは心はずんでいた。途中で裁判所の同室の女の子二人とすれちがった。にやっと笑い、心の中ではぼくの彼女はこんなかわいいひとなんだぞと、見せびらかしていた。
 日ざしまであたたかだった。
 梅田から今度は反対側の歩道を引き返した。また知り合いの裁判所の人と逢う、いい気分だった。こんなことはめったにないので、いつまでもこうして歩いていたい気持だった。
 淀屋橋まで戻り、借りていたノートを返して別れた。去っていくそのひとの後姿を、見えなくなるまで見送っていた。
 その夜K子さんが訪ねてきた。劇団のことでの連絡だった。玄関に腰掛けてしばらく話した。劇団で彼女とぼくが結婚するという噂が立ち、ぼくは何も知らないので否定してきたのがつい昨日のことだった。そのことには別にふれず、何となく話をして、何となく別れた。彼女の心の中はよくわからなかったが、しかし今は雪うさぎの少女がぼくの心の中で確実に大きくなりつつあった。
 一月五日六日の二日間、郊外のI市の公会堂で劇団は公演をした。客は寥々だったし、ぼくはぼくで、いつもとちるところで案の定またせりふを忘れ、いいかげんなことをしゃべって何とかごまかしたりしていた。
 一月七日、公演のあと片付けをすませ、夕方近く大阪へ帰った。公演に参加していなかったそのひとに、梅田から電話した。
 そのひとの姓はYだったが、銀行にもう一人Yという同姓の女性がいて、電話に出たのはそっちの人だった。声ですぐ人ちがいとわかり「すみません、もう一人の方のYさんのなんですが……」と言うと、そのYさんは電話にまで聞こえる大きな声で「Yさん、お電話、南沢さんらしいわ、あの声は……」と呼んでくれた。
 そのひとが話していたからなのだろうけれど、ぼくの名前が知られていたことが何かうれしかった。すぐにそのひとが出た。聞こえていたことを話してお互いに笑った。そんなことで気が楽になり、帰りに淀屋橋で逢う約束もすんなりと出来た。
 夕方五時、そのひとと淀屋橋で逢った。二人が行きかけると、銀行の方から「忘れものよ」と女の人が追いかけてきた。そのひとが忘れた定期を持ってきてくれたのだった。そしてぼくに「先程は……」と言ったので、あ、そうかもう一人のYさんかと気づいた。ぼくは少してれて、いたずらっ子のような顔でYさんに「あ、どうも……」と言った。
 Yさんは欣(よし)子という名なのでキンちゃん、そのひとは小柄なのでチビちゃんと呼ばれているのだそうだ。
 地下鉄でなんばへ出た。またE小劇場で古い洋画を見て、また天牛書店で古本をしばらくながめ、財布が軽かったのでお好み焼にはさそわず、上六で別れた。
 千日前から上六へ向う市電ではお互いに少し無口になっていた。でもぼくはそのひとと一しょにいるということだけで満ちたりていた。
 そして帰宅すると、そのひとからの手紙がきていた。「I市の公演はどうでしたか? この券はあまりいい席ではないのでお気の毒ですけど、九日の五時からです。都合をつけて行って下さい」と、劇団民芸の「炎の人」の座席券が入っていた。

(平成元年6月)

 


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